芭蕉堂のお引っ越しネタが終わりそうにないの巻
2020年 08月 29日
この話の続きです↓
古い絵はがきを見比べてたら「これ何か違わん?」って事から始まった芭蕉堂のお引越し問題。
大まかに「こんな感じじゃねー」って自分の中で結論を出したのもつかの間、芭蕉の館で新たな絵はがきを見つけてしまい、更に疑問が…
ブログに掲載してからお陰様で何人もの方が興味をしめしてくださり、中には貴重な資料まで見せてくれました。
この話の続きです↓
第1回 芭蕉堂が変わった?の巻→https://choraku.exblog.jp/240493815/ 第2回 芭蕉堂って引越しした?の巻→https://choraku.exblog.jp/240497282/ 第3回 芭蕉堂でええ加減な憶測をしてみたの巻→https://choraku.exblog.jp/240498837/ 第4回 実はまだ続いていた芭蕉堂ネタの巻→https://choraku.exblog.jp/240521042/ 第5回 芭蕉堂ネタが終われないの巻→https://choraku.exblog.jp/240538535/ 第6回 芭蕉堂のお引っ越しネタが終わりそうにないの巻→https://choraku.exblog.jp/240551634/ 第7回 芭蕉堂のお引っ越し 気が付けば第7回の巻→https://choraku.exblog.jp/240553322/ 第8回 芭蕉堂の引っ越しネタを書こうと思ったんですがついつい違う方向にの巻→https://choraku.exblog.jp/240568155/ 第9回 芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻→https://choraku.exblog.jp/240586287/
古い絵はがきを見比べてたら「これ何か違わん?」って事から始まった芭蕉堂のお引越し問題。
大まかに「こんな感じじゃねー」って自分の中で結論を出したのもつかの間、芭蕉の館で新たな絵はがきを見つけてしまい、更に疑問が…
ブログに掲載してからお陰様で何人もの方が興味をしめしてくださり、中には貴重な資料まで見せてくれました。
銘酒「獅子の里」の松浦酒造さんもその一人。先々代が俳人にして芭蕉堂建立にご尽力された まさにキーパーソンのひとり。ただ昭和6年の山中温泉大火により、芭蕉翁に関する資料のほとんどが焼失したそうです。なんせ山中温泉大火は民家、役場、学校、共同浴場、旅館、寺院等あわせて809棟を焼失した山中温泉最大の惨事ですから・・・。そんなわけで昭和6年を境に歴史資料がぐっと減ってるような気がします。
で、見せて頂いた資料を元に、今回は芭蕉堂建立に至るまでのお話を、私の低い読解力と、もっと低い理解力でダラダラと・・・。
で、見せて頂いた資料を元に、今回は芭蕉堂建立に至るまでのお話を、私の低い読解力と、もっと低い理解力でダラダラと・・・。
明治42年1~2月頃、金沢の俳人渡辺萎文を中心に、山中温泉に芭蕉堂建立の話がもちあがりました。
なぜ山中温泉に建立するのかには、大きくふたつの理由がありまして。
ひとつは、山中温泉は芭蕉翁が句を詠んだゆかりの地であるにもかかわらず、それを示す記念碑などが無かったこと。
もうひとつは、山中温泉は俳諧のさかんな地であり、松浦酒造の先々代をはじめとした俳人の多くが、渡辺萎文とかかわりが深かったこと。
そこで渡辺萎文は全国の俳人に声をかけて、芭蕉堂建設の寄付を募りました。その数なんと、全国からのべ232名(重複を含む)総額 貮百貮拾八円四七拾銭(238円70銭)。
芭蕉堂建立にあたりモデルにしたのが、義仲寺の翁堂。(滋賀県大津市にある木曾義仲を祀った義仲寺、同じく境内には芭蕉翁のお墓もある)ネットで見たら確かに似てます。
そして明治42年11月24日、芭蕉翁の忌日に開堂式が行われました。その模様は「俳諧白嶺集」という明治38年創刊の俳誌に詳細が書かれています。
場所は「黒谷橋東詰南に入る一勝地が建立候補地」とあり、「建築の地と極めし黒谷なる卯の花瀧の頭に柱建せんとせし際、隣地々主より故障申立着手するを得ずとの事・・・」
当初予定していた建立候補地は、私が推測するに黒谷橋下の瀧の上あたりだと思います。今は公衆トイレになっているところかな。
ところが、ご近所トラブルで この場所での建設を断念したみたいです。どんなトラブルがあったのかはわかりませんが・・・
ってことで、芭蕉堂のお引っ越しネタは、まだまだ終われない・・・
第1回 芭蕉堂が変わった?の巻→https://choraku.exblog.jp/240493815/
by choraku
| 2020-08-29 20:33
| 山中温泉


