芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻

この話の続きです↓
第1回 芭蕉堂が変わった?の巻
第2回 芭蕉堂って引越しした?の巻
第3回 芭蕉堂でええ加減な憶測をしてみたの巻
第4回 実はまだ続いていた芭蕉堂ネタの巻
第5回 芭蕉堂ネタが終われないの巻
第6回 芭蕉堂のお引っ越しネタが終わりそうにないの巻
第7回 芭蕉堂のお引っ越し 気が付けば第7回の巻
第8回 芭蕉堂の引っ越しネタを書こうと思ったんですがついつい違う方向にの巻

前回は、本題を書こうと思いながらついつい違う話になりました。ってことで今回はちゃんと本題に・・・。

芭蕉堂の古い絵はがきを見比べてたら「これ何か違わんけ?」って事から始まった芭蕉堂のお引越し問題。
まず、明治42年1~2月頃、金沢の俳人渡辺萎文を中心に、山中温泉に芭蕉堂建立の話がもちあがりました。
萎文は全国の俳人に声をかけて建設の寄付を募り、全国からのべ232名、総額 貮百貮拾八円四七拾銭(238円70銭)を集めました。
そして明治42年11月24日、芭蕉翁の忌日に開堂式が行われるも、ご近所トラブルで断念。当初予定していた建立候補地は、私が推測するに黒谷橋下の瀧の上あたり、今は公衆トイレになっているところだと思います。
その後、温泉組合と協議し翌43年5月に新たな建立候補地が決定。それが黒谷橋を渡った正面あたりです。↓地図を参照
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_20564333.jpg

その建立当時の芭蕉堂です↓
 
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_20541099.jpg

で、芭蕉堂の右手横の階段はどこに向かう階段なの?って話なんですが、実はその先を登っていくと、よしのや旅館が開拓した「彩霞渓」さらには東山遊園地があったと推測します。
ちなみに大正3年に、よしのや旅館がお土産として発売していた絵はがきの地図には この階段(道)が記載されています。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22252886.jpg


では次に、昭和6年ごろの芭蕉堂です。石碑が左から右に移動しています。
明治43年(1910)から昭和6年(1931)の20年の間に何があったかって話なんですが・・・
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22380140.jpg

↓大正3年には記載されていた階段(道)は、昭和6年の地図には記載されていません。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22445676.jpg

↑この地図は昭和6年の山中町旧市街地図のコピーでして、その原本が山中温泉文化会館のロビーに飾られています。
そこで、もう一度じっくりと地図を見てきました。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_21473199.jpg

↓こちらが芭蕉堂周辺のアップ画像です。 
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_21554743.jpg
上方向が黒谷橋方面なので、わかりやすくひっくり返してみます。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22054917.jpg
芭蕉堂から向かって右手に石碑があるのがわかります。
ところが、よく見るとわかりますが、芭蕉堂の左手にも石碑の下書きのような跡があるんです。どうやら昭和6年前後に何らかの理由で石碑が移動したようです。昭和10年に黒谷橋が木造から石橋に架け替えられているので、周辺の整備なども関係しているのかも…
ただ、芭蕉堂建立当時の資料は、少しずつ出てきたんですが、それ以降の資料が全く見つからず、これも推測の域を出ません。

↓現在の黒谷橋です。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22160644.jpg

そして、昭和30年4月、県道・動橋・山中線 黒谷峠、四十九院道路の改修完成に先立ち、昭和28年に芭蕉堂は現在の場所にお引っ越しをしました。
芭蕉堂のお引っ越しをまとめてみたの巻_a0041925_22231845.jpg

東山神社建立 明治41年、
鶴仙渓整備 明治42年、
芭蕉堂建立 明治43年、
山中温泉大火 昭和6年、
黒谷橋架け替え 昭和10年、
芭蕉堂移設 昭和28年、
県道 黒谷峠、四十九院道路開通 昭和30年、
短期間に芭蕉堂周辺の整備が一気に進み、どんどん景色が変わっていったようです。 おわり。

by choraku | 2020-09-18 22:37 | 山中温泉

北陸山中温泉のネタをだらだらとアップしてます。どうぞよろしくお願いします。


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