今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻 その2
2021年 02月 28日
この話の続きです↓
山中節の起源は、北前船の船頭衆が習いおぼえた松前追分や江差追分を温泉で口ずさみ、
それを浴衣べが山中なまりで真似たのが始まりと言われています。
♪はぁ~~ 山が赤なりゃ木の葉が落ちる やがて船頭衆も ござるやら♪
この一節からも、北前船説が定説になっています。
ところが、民謡界の大作詞家 永井白湄氏が、全否定されているのは前回のブログで書きました。
実はこの他にも北前船説を否定している方がいるのです。
竹内 勉(1937-2015)
12歳から民謡採集を開始し、25歳で町田佳聲氏に師事。現地調査を第一として研究を重ねた民謡研究の第一人者。
民謡決定盤 石川の歌 (COLUMBIA DLS-4170)1969年発売
竹内氏の解説を要約すると、
山中節は もとはこのあたりの農村で歌い踊られていた盆踊り唄の「甚句」であり、
それがいつか酒盛り唄となり、さらに花柳界へ伝えられた。
後に米八によって、今日の洗練された美しい唄となった。
ちなみに、このレコードには、二代目米八に教えを請うた加戸桂子さんの「山中節」が収められています。
やはりここでも北前船は全く出てこないのです。
竹内氏も前回の永井氏同様、いくつも解説をしていますが、そのいずれにも北前船は出てきません。
一貫して彼は、この土地で古くから歌われていた甚句が元になっていると言っています。
さらに竹内氏は、石川県の民謡について、
「とかく保守的で地味な県民性が唄にまで表われており、山中温泉の生んだ一台の名妓米八が育てた「山中節」以外は、まったくといってよいほど
芸の力で磨き上げることはしなかったのです」(原文ママ)
と、手厳しいご指摘。
山中節の起源については、まだまだ続きます。
ご興味のある方はぜひ最後までお付き合いを。
by choraku
| 2021-02-28 22:23
| 今日の山中節


