今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻 その3
2021年 03月 01日
この話の続きです↓
今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻
今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻その2
それを浴衣べが山中なまりで真似たのが始まりと言われています。
♪はぁ~~ 山が赤なりゃ木の葉が落ちる やがて船頭衆も ござるやら♪
この一節からも、北前船説が定説になっています。
ところが、民謡界の大作詞家 永井白湄氏や民謡研究家 竹内勉氏は、
一貫して、この土地で古くから歌われていた甚句が元になっていると提言しています。
そして、竹内勉氏の師 町田 佳聲(1888-1981)もその一人。
昭和10年から民謡研究に着手、昭和12年から全国の民謡の採譜に取り掛かり、昭和55年の「日本民謡大観(全9巻)」の完成まで、
実に43年もの時間を費やし全国20,000曲採譜という偉業を成し遂げた民謡界のレジェンド。
彼もまた、山中節のルーツは、この土地の盆踊甚句がお座敷唄へと変化しものだを自身の著書で記述しています。
日本民謡集 町田 嘉章 浅野建二編 岩波書店
昭和47年3月、民謡ブームをけん引した人気テレビ番組「キンカン素人民謡名人戦(フジテレビ)」の決勝のステージに、
後に三代目米八になる山口節子さんがいました。
彼女は本番を前に悩んでいました。得意の越中おわら節か地元の山中節か、どっちの歌で勝負をするか…。結局、山中節を歌いライバルたちを抑えて見事3位入賞。 そのとき審査員を勤めた町田佳聲が、節子さんの実力と未知の可能性を見出だし、 初代米八さんとの縁を取り持ったのです。 つまり、町田佳聲のご尽力がなければ、三代目米八の誕生もなかったのです。
と、いう事で、これまでに3人の巨匠たちの異説について書いてきましたが、このネタはまだまだ続きます。ご興味のある方はぜひ最後までお付き合いを。
と、いう事で、これまでに3人の巨匠たちの異説について書いてきましたが、このネタはまだまだ続きます。
by choraku
| 2021-03-01 22:31
| 今日の山中節