今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻 最終回
2021年 03月 02日
この話の続きです↓
今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻
今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻その2
今日の山中節 ルーツを全否定か?の巻その3
これまでの話は…
山中節の起源は、北前船の船頭衆が習いおぼえた松前追分や江差追分を温泉で口ずさみ、
次に江差追分の起源については、
それを浴衣べが山中なまりで真似たのが始まりと言われています。
♪はぁ~~ 山が赤なりゃ木の葉が落ちる やがて船頭衆も ござるやら♪
この一節からも、北前船説が定説になっています。
ところが、永井白湄、竹内勉、町田 佳聲といった民謡界のレジェンドたちは一貫して、
この土地で古くから歌われていた甚句が元になっていると提言しています。
ここに1枚のレポートがあります。山中温泉の歴史に精通しているHさんのレポートです。
山中節の起源について、なかなか興味深い説を唱えているので、今日はこちらをご紹介したいと思います。
Wikipediaによりますと、
「もとは、牛馬を追い、分ける場所を意味したが、そこから街道の分岐点も意味するようになる」
次に江差追分の起源については、
信州浅間山麓の追分宿で歌われていた馬子唄が酒宴の唄(追分節)になり、
のちに越後に伝わり、更に北前船によって日本海沿岸を北上して北海道に伝わったと言われています。
ちなみに追分宿とは、現在の長野県軽井沢町で、中山道と北國街道の分岐点です。
よって、北國街道を通って越後に伝わった追分節が、
方や北上して北海道へ、方や南下して加賀へと考えた方が自然ではないでしょうか。
驚くことに軽井沢追分には、こんな歌詞があるのです。
♪送りましょうか おくられましょうか せめて関所の茶屋までも
♪送りましょうか おくられましょうか せめて関所の茶屋までも
♪西は追分、東は関所 せめて峠の茶屋までも
♪浅間山から 坂本見れば 桃や桜の 花盛り
山中節には
♪送りましょうか送られましょか せめて二天の橋までも
♪忘れしゃんすな山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師
♪薬師山から湯座屋を見れば 獅子が髪結うて身をやつす
また、江差追分の前身 松前節の誕生が江戸後期と考えると、
山中節の誕生は明治期となってしまうのではと問いかけます。
H氏曰く、これらのことから考えても、江差追分の影響はあったにせよ、
それは多く見積もっても50%程度ではないかと提言しています。
これまで、4回にわたっていろいろな方の異説をご紹介してきました。
ところが、如何せん山中節に関する文献資料が少なく、検証する術がないのが現状。前述の山中町史にもあるように、
”北陸民謡の代表として知られ、温泉歌謡としても断然他を圧する山中節も、
その起源はさっぱりわからない” のです。
ただ、これも歴史の面白さ。
私自身、まだまだ勉強不足でどれが本当なのかわかりませんが、
このルーツをきっかけに山中節に興味を持ってもらえれば嬉しいです。 おわり
by choraku
| 2021-03-02 23:10
| 今日の山中節


