今日の山中節 ハイブリッドな山中節

今日の山中節は、江差追分の第一人者 初代浜田喜一の山中節をご紹介します。

江差追分といえば、人気、難易度、品格から日本民謡の王様と称される唄の一つ。
その江差追分が山中節誕生に深く関わっていることはご存知でしょうか。

山中温泉芸妓組合のホームページには以下のように書かれています。
日本三大民謡のひとつと数えられる「山中節」は、元禄の頃から唄われ始めたと伝えられています。
日本海を往来した加賀の北前船の船頭さんが、習いおぼえた北海道の松前追分や江差追分をお湯に浸かって口ずさみそれを聞いた浴衣べが、山中なまりで真似たのが「山中節」の始まりと言われています。(後略)
※山中節の由来には諸説あります

初代喜一は大正6年7月、北海道檜山郡江差町で生を享けました。
江差追分の名人であった父、浜田松鶴より「追分」を習い、5歳で初舞台。18歳で上京し、江差追分の神様・三浦為七郎に出会い、独特の浜田節を確立します。
空前の民謡ブームをけん引するも、肺結核を患い、実弟に「喜一」の名を譲り引退を決意しました。
そして昭和39年、片肺を切除する大手術を受けるのですが、実弟を「二代目」、自身を「初代」と冠して不死鳥のごとく再起を果たすのです。

昭和41年にビクターと専属契約した初代喜一は、その頃から全国各地の民謡の発掘という大仕事に携わり、
昭和43年『山中追分』(ビクターMVK542) 
昭和49年『山中鉄砲じし踊り』(ビクターMV851S)
と相次いでリリースします。
今日の山中節 ハイブリッドな山中節_a0041925_10205245.jpg
『山中追分』は、前半が「山中節」、後半が「追分」と、ハイブリッドな楽曲。
『♪ハァ~~ 送りましょうか おくられましょか
(ここまでが山中節で、この後に三味線も一緒に追分節に変わります。)
お月さまさえ こおろぎ橋でネー 咲いて聞いてる 虫の声♪』

石川県民謡とクレジットされていますが、この楽曲以外に聞いたことがないので、憶測の域は出ませんが創作民謡ではないかと思います。

今日の山中節 ハイブリッドな山中節_a0041925_10205031.jpg

江差追分が山中節に深く関わってきたように
初代喜一もまた、初代米八とは相通ずるものがあったのでしょう。
「追分の浜田か 浜田の追分か」と言われた初代浜田喜一。
一方、「山中節の米八か 米八の山中節か」と言われた初代米八。
どちらも、その一曲を生涯をかけて染め上げ、全国区に押し上げた名人上手の二人。
昭和50年6月15日、山中町社会教育文化会館(現・山中温泉文化会館)にて行われた三代目米八襲名披露の舞台には、初代喜一も遠方より駆けつけて、米八の愛弟子の門出を「追分」で祝っています。

初代喜一は、生涯を通じて地元江差では「追分」を唄わなかったそうです。
それは、口頭伝承で歌い継がれる地元の追分に、自身のレコード歌手としての追分を混同させないとする故郷への心遣いからでした。
それだけ地元江差への思いは強く、昭和57年、「江差追分会館」建設の際には率先して尽力されたそうです。
そんな、初代喜一の唄には土の香りがすると言われています。
日本海を往来した北前船は、江差からニシンの加工品と一緒に、土地の文化や香りも運んできました。
彼が唄う山中節は、そんな歴史を感じる一曲に仕上がっています。


↓江差追分会館のサイトはこちら
江差追分会館には、江差追分の実演の他、関連の歴史的資料の展示、追分節のSP盤レコード600枚の視聴、更に名産ニシン蕎麦まで食べられる施設だそうで、山中節にもこんな施設があったらと・・・羨ましい限りです。



by choraku | 2022-01-30 20:52 | 今日の山中節

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