今日の山中節 二天の橋or茶屋問題を考えてみたの巻 その2

この話の続きです↓

前回のブログでは、山中節の代表的な歌詞のひとつ
♪送りおくりましょうか~ 送られましょか~ せめて二天の橋までも~

この歌詞に、♪二天の茶屋までも~ と唄う別のヴァージョンが存在することを紹介しました。
ただ、この茶屋ヴァージョンは今現在、ごく一部でのみ唄われてるようです。
では、以前はどうだったのでしょう。

1900年(明治33年)、逓信省が私製葉書の使用を解禁、ほどなく日本中に絵はがきブームが到来します。
山中温泉でも、観光土産品として盛んに制作されました。
なかでも、温泉民謡として知名度のあった山中節の歌詞と、
それにちなんだ山中温泉の名勝を組み合わせた絵はがきは、特に人気が高かったようです。

以下に紹介する2枚の絵はがきは、どちらも二天の橋の写真に歌詞を組み合わせたもので、
大正期に発売されたものです。

今日の山中節 二天の橋or茶屋問題を考えてみたの巻 その2_a0041925_22071125.jpg

今日の山中節 二天の橋or茶屋問題を考えてみたの巻 その2_a0041925_22071352.jpg
上の絵葉書では、♪せめて二天の橋までも~ となっていますが、
下の絵葉書では、♪せめて二天の茶屋までも~ になっているのがわかります。
どちらも山中温泉の観光土産として同時期に広く販売されていた事に鑑みて、
少なくとも大正期では二つの歌詞が共存しており、どちらも唄われていたと考えるのが妥当です。

この時代、唄も三味線もどこから始まってどこで終わってもよいとされており、
まさに演者によってそれぞれが違ってよかったようです。
事実、その頃の音源を聴き比べると、旋律や歌詞が、演者の力量と個性に委ねられていたことがわかります。

という事で、この話はまだ続きます。



by choraku | 2022-05-28 23:19 | 今日の山中節

北陸山中温泉のネタをだらだらとアップしてます。どうぞよろしくお願いします。


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