今日の山中節 あの企業の創設者が唄う山中節の巻

「山中節」と一口で言ってもそれは多種多様。
民謡の枠を超えて、古今東西多くの演者によってさまざまなスタイルに形を変えて今日まで歌い継がれてきました。
これまでにも色々なジャンルの山中節をご紹介してきましたが、今回はちょっと変わり種の山中節をご紹介。

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山中節/山崎榮二 (コロンビア PSL-7263-NP)

お世辞にも歌が上手いとは言えませんが、独特の甲高い声で純朴に歌い上げる山中節。
どこか親しみのある歌声の主は、民謡歌手でも歌謡曲歌手でもありません。
♪キンカン塗って~また塗って~のCMソングでおなじみ 金冠堂の創業者なのです。
1961年からフジテレビ系列で放送が始まった『キンカン素人民謡名人戦』、それから
後継番組も含めて34年もの間、民謡番組を通して民謡の普及に尽力した功労者なのです。

明治28年、福井県鯖江市に生を享けた山崎氏は、
年月をかけ苦心の末に、万能やけど治療薬キンカンの製造に成功するも、販売に苦労したそうです。
時には自ら熱湯や焼け火箸で自分の腕を火傷させてキンカンを塗布する、まさに身体を張って実演販売をしたというから驚きです。
戦時中、空襲時の火災によるやけどや外傷の救急薬としてキンカンは次第に認知されて、日本有数の製薬会社に成長したのはご存知の通り。


今回紹介する このレコードには山中節の他、越中おわら節、芦原節、
そして『山中節に関する説明』と題して、山崎氏本人のメッセージが収録されています。
この肉声によるメッセージがとても感慨深く、長文になりますが、ここに紹介します。

『皆様 山崎榮二でございます。 
思い起せば1945年、日本は戦争に敗けて世の中も人の心も冷えきってしまいました。
私も大変憂鬱な日を過ごし、何とか元の和やかな世の中に戻ってほしいと日夜祈り続けておりました。
それから二年たった1947年3月、私は商用で山中温泉に近い郷里の家に行きました。
その時、私はひとり八畳の部屋に横たわり、
幼い頃末っ子の私がよく母に連れられて山中へ行ったことを思い浮かべ、
いつしか口ずさむともなく山中節を唄い続けていました。
ふっと気が付きました。
それは、あれほど不快で憂鬱だった気分が嘘のように消えていることです。

「そうだ、舟唄も田植唄も機織唄もみんなこれだ、唄が人の心を明るくするのだ」
私はそれに気がついて、早速友人を集めて民謡をみんなで唄ったところ、
大いに和やかさをとり戻し、みんなの心に明るい灯がともりました。
それ以来わたしは、民謡こそ人間を明るく平和にするものだと強い信念を持ちました。

しかし、当時の世間では民謡を蔑すみ嫌う世情でありました為に
一口には云えない苦労を重ねながらもひたすら民謡の普及に努力をしてきました。
お陰で民謡ブームと言われる現在を迎えたわけでございます。
これも思えば、山中節が開いた縁だと思います。

こうした民謡に対する気持ちを、イギリスでの国際民俗芸能総会に発表したところ、
その総会に於いて国際平和クラブ会館を日本に建設することが決議されました。
民謡を通じての国際平和を計ろうとする私達の運動にお力添え賜わりますよう
謹んでお願い申し上げます。』

その企業利益のほとんどを費やして民謡の普及に貢献した山崎榮二。
『キンカン素人民謡名人戦』に至っては、三代目米八誕生にも深く関わるなど
山中節にとって大きな足跡を残しています。
そんな彼が唄う山中節もまた、山中温泉にとって大切な財産なのです。

これまで、このブログで紹介した山中節のネタはこちらをチェックしてください↓
今日の山中節 https://choraku.exblog.jp/i20/

by choraku | 2022-10-26 00:18 | 今日の山中節

北陸山中温泉のネタをだらだらとアップしてます。どうぞよろしくお願いします。


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